<茫蕭の禍>



 後世の書によると――


 守慶しゅけい三十二年。青辰帝せいしんていの御代。

 東大陸、その北端に位置する小国『茫蕭ほうしょう』が、東西二大陸の中心に位置するこの島国『昇陽』へと襲来した。
 正確にはその時、既に『茫蕭』という国は存在しなかった。それは遡ること五年前に、砂の城が波にさらわれるがごとく、忽然と滅亡した国であった。元来僻地ゆえに他国から見向きもされず、伝播する情報も少ない国であったため、滅亡の原因は依然不明のままである。かつて草原だった土地は無惨な焦土と化していたと、封印∴ネ前に大陸から渡ってきた密入国者の語るところから、内紛や天災の可能性も考えられた。だが、それならば一国全てが焦土と化すような非常事態を、隣国の『ティン』すら把握していなかったのは奇妙な話である。

 そして守慶三十二年、一月二十五日。前触れもなく海上にあの黒影が現れた。

 当時の『昇陽』は、その前年に東大陸から到来した凶悪な野盗集団に悩まされており、大陸に面した沿岸地帯では、渡来人の侵入を拒む厳重な警戒がなされていた。最初に化け物と対峙したのも、その任に就いていた武士達だったが、彼等は都である『央都』に第一報を伝えることしか役目を果たせなかった。

 人間が相手であったならば、『昇陽』の武士は一対一の闘いにおいて、大国『天』の将に引けを取らない武芸を誇っている。
 だが、つ国からの襲撃者は人ではなかった。

 鉄忌――鋼鉄の獣。顎を動かせば刀を砕き、矢を受ければやじりが跳ね返る。地を蹴ればいわおが削れ、爪が触れれば鎧も切り裂く。柔らかい血肉と軽い白骨でできた人間が敵うはずがない。驚異的な早さで一帯の沿岸部は蹂躙され、『昇陽』は海を隔てた隣国『天』に援助を求めることすらできず孤立した。
 そんな最中、偶然にも化け物の骸が手に入った。『央都』の帝に献上されたそれは、一人の武士が運良く落石に巻き込み仕留めたものだった。すぐに『昇陽』最高にして唯一の術師である左大臣と、大陸の知識に明るい右大臣とで骸が調べられ、化け物の外見的特徴が『茫蕭』の生物と酷似していると判明した。
 そして内部に刻まれた、『昇陽』の何者かに宛てた一つの言葉。

 必ズ引キズリ出ス

 この宣戦布告に当然、朝廷は混乱した。『茫蕭』と『昇陽』が関係を持ったことは、良い意味でも悪い意味でも一度もなかった。攻められる理由が思い当たらない。首を捻っている間にも、敵はじわじわと『央都』を包囲しつつあった。


 そして、襲撃から九日目。
 敵は『央都』最後の防衛線、三方の山々直前にまで迫り、幾千年もの間、磐石(ばんじゃく)を維持してきた『昇陽』という国の命運は風前の灯となった。
 白昼の太陽の下、逃げ場を失い、それでもなお逃げようとしていた誰もが終わりを予感した、その時。

 始めは揺さぶるような衝撃。

 次に激しい閃光が空を焼いた。

 『央都』の人々が我に返ると、辺りの様子は一変していた。
 真昼は暗闇に。
 空にあった太陽が二色の月に。
 山の向こうは、黒々とした大海原。空と完全に溶け合った水平線の彼方には何もない。
 『央都』を除く『昇陽』は全て消失していた。
 『昇陽』だけではない、世界そのものが消えていた。

 国の盾である左大臣は『茫蕭』の魔手から逃れるべく、最後の手段を取った。それは、『央都』の封印=\―別空間への隔離。
すなわち、正確には、『央都』こそが世界から消えたのだ。
 しかし左大臣の力を持ってしても術の行使は完全とはいかず、『央都』にあったものは七割以上が消失し、そして、太陽はいつまで待っても昇らなかった。

 その封印≠ゥら二十七年後にあたる現在。

 常夜の『都』は、昂令二十七年の春を迎える。




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