<彫金師>



「お前は何を彫ったんだ?」
 訊かれた青年は押し黙った。もう一度、今度は脳髄に突き刺すように言葉が繰り返される。
「お前は何を彫ったんだ?」
「獅子です」
 青年は正直に答えた。目の前で師が撫でる鉄燈籠の、上部で咆哮する獣は彼が彫った物だ。四肢に風雲を纏い、おどろ髪のようなたてがみを振り乱し天を仰ぐ獣は、誰が見ても獅子≠ナはないか。
 他の弟子達にもその出来を賞賛された自慢の作であったのに、師はその獅子を見るなり青年に先の問いをしたのだ。高揚していた青年は低い声に籠もった怒気を悟ると、俯いた頭を上げられなくなった。
「お前は獅子≠見たことがあるのか?」
「先生の獅子を……」
「本物は?」
「ある訳がありません」
 獅子≠ヘ想像上の生き物だ。師とて実在しないのは分かりきっているはずなのに、どうして不可解な問いばかりしてくるのか。青年の頭は恐れと不審で埋め尽くされた。
「見たことがないのにどうしてこれが獅子≠セと言える?」
「だから、先生の獅子で学びました。これが獅子≠ナないのならば、先生の彫るたてがみを生やした獣は何なのですか?」
「あれは獅子≠セが、お前の彫ったこいつは獅子≠カゃない」
 歯を食いしばり反論をこらえていた青年だったが、それを聞いて恐れに不審が勝った。思わず師を見ると、師はずっと節の長い指で獅子を撫でている。

 しかし、あの紅い双眸は瞼に閉ざされていた。青年の獅子をその眼で見た様子はない。

「おかしいのは先生ではありませんか!?」
 異国人の血が混じっているという師は、座っていても背が高く、人とは思えない赤銅色の髪をしている。不気味な威圧感を常に放つ彼に楯突くなど、青年は今まで一度も考えたことがなかった。だがここまでないがしろにされて黙っていられるほど、彼は大人でもなかった。
「私の獅子のどこがいけないのです。ちゃんと見て答えて下さい!」
「こうすればよく分かる」
 師は目を閉じたまま言った。
「お前、俺の獅子を見てこれを彫ったと言ったな。そのせいでこいつは出来損ないになった。こうして、手だけで触れてみろ」
 釈然としないまま、青年はつき返された燈籠の獅子に目を閉じて触れた。
「触れた箇所から、姿を思い描け」
 言われた通りまずは頭から、次にたてがみ、顔、牙、前足、背、後足、尾と、その硬質と体温の生温かい感触ごと彼は丁寧になぞっていった。イメージ通りの仕上がりに相違ない。
 自信を持って獅子を弄ぶように撫でていた青年だったが、しばらくして様子がおかしくなっていった。
 指の動きがぎこちなくなり、細部を確かめるようと力が込められるが、表情は曇っていくばかりだった。

「解ったか?」
 青年の焦燥に頃合を感じた師が彼の手を止めた。さっきまでの威勢が嘘のように、青年は泣きそうな顔で師に叩頭した。
「もう一度訊こう。お前は何を彫った?」
「……初めは、確かに獅子が思い描けていました。いえ、多分まだ目で見た姿が残っていたのでしょう。触れていくうちに、段々獅子の姿がぼやけてきて、それをはっきりさせようとすると、何故か、どんどん得体の知れない物になっていって……」
「どんな姿をした物か、はっきり話せ」
「はい……風雲を纏った脚は台座と溶け合い、振り乱すたてがみも胴と一つになり、まるで、まるで……」
「お前が獅子と思っていたものは、ごてごてと飾られた天を仰いで呻く芋虫だ」
「芋虫……」

 魂の抜けた顔で、青年はもう一度自分の獅子に触れた。吠える獣の姿をはっきりと目に焼き付けてみたが、一度帳を下ろしてしまえば、もうそれはただの黒い塊に過ぎなくなる。獅子は金属の獅子となり、躍動の予感もしない一個の彫像となった。
「俺は、お前が俺の獅子を真似た事については何も咎めん。むしろその精進する心は褒めよう。だが、お前は俺の獅子の姿に気を取られ、自分の心に確たる獅子≠フ姿を持たなかった。それでこの様だ」
「仰る意味が……解りません」
「獅子であろうと鳳であろうと芋虫であろうと、鉄に彫金すれば一つの像であることに変わりはない。ならば、肝心の美≠ヘその何処から生じる? 創られた形か?」
「それはひとえに、巧拙に左右されるものではないのですか」
「誰が巧拙を判断する?」
「上手いか下手かは、一目見ればおおよそ分かるものでしょう」
 師は長い溜め息をついた。
「……私は、美しさは人を愉しませるための物と考えます。見る者の感情を呼び起さねば彫刻の美など意味を持ちません」
「目の見えぬ者は愉しむ資格がないと?」
「そういう意味では……」
 口ごもる青年に、師はまた例の獅子を突きつけた。
「この彫刻にお前は命を感じたか? どんな声で吼え、どんな風に四肢を動かし、どんな事を考えているのか。俺の獅子を真似ながら、お前は自分の獅子にどのような魂を与えようとした?」
「結構です! 解りました、解りましたから」
 青年は悔し涙をこらえ、憎々しげに自分の獅子から目をそらした。
「私の獅子≠ヘ、生を知りません」
「そうだ。その彫刻に命はない。美≠ヘ人を愉しませるための物だと言ったな。それは人の魂が、作品の内なる魂に気づくからこそだ。目に映る姿だけで、彫刻に魂を与えられると思うか。顔を上げろ」

 言われるままにすると、そこには封じられていた丹色の双眸があった。
「今後しばらくの間は象嵌の作業に専念してもらう。彫金の修練の際は一切、他人の模倣を禁じる」
「しばらくとは、いつまでですか?」
「……」
 再び閉じた瞳の、鮮やかな丹色に潜む温もりに弟子は気づいたのか。
 師は瞑想したまま、打ちひしがれる弟子を置き去りにして部屋から出た。
 襖を閉めると、ガチャンという大きな金属音が背後で響いた。

「怖い弟子だな」
 同情する声は、目を閉じる男のすぐ傍で聞こえた。
「若いだけだ」
「何人目だ?」
「四人目になる。どいつもこいつも上達しない……お前がここに来るとは珍しいな、椿」
 一目見ることもせずに男――久暁は、相手が誰かを言い当てた。
「やけに機嫌が悪そうだが、何かあったか?」
「話が早くて助かる。あの阿呆を見なかったか?」
 それが誰の事かは、すぐに察しがつく。二人は同じものを連想し、たちまち苦々しい表情を浮かべた。
「どうして燥一郎がここに来ていると分かる? それも、わざわざお前が探しに来るなんて」
「俺としてはアイツが何処で何しようが知ったことじゃねぇが、軒葉のババアが……」

 椿と楝の逢瀬を中断させた老婆、その正体は軒葉という年増の遣手婆だ。まだ老人というほどの年齢ではないが、外見が老け込んでいるので大半の若い連中は彼女を老婆と勘違いしている。彼女もそれを自覚しているから、事あるごとに若者達に嫌がらせをしては楽しんでいるのだ。椿が久暁の元を訪れたのも、軒葉が彼と楝の逢瀬を邪魔して、臍を曲げた楝に部屋を追い出されたからである。
 ただ、軒葉も暇つぶしで嫌がらせをしに来た訳ではなかった。鉄燈籠を引き取りに来た『睡竜胆すいりんどう』の者が燥一郎との面会を望んでいるのに姿がなく、枳の頼みで彼を探しに来たのだという。それを聞いて枳に敬意を抱く楝が、
「どうせ暇になるんだったら探してきなよ。帰ってくるまでに寝てなければ、また相手してあげるからさ」
と、憂さ晴らしにこう言い出す始末。
 椿としては、諸悪の根源たる燥一郎を捕まえなければ気が済まないのだ。
「それで若衆頭がこうして駆けずり回っているのか」
「暇な奴らをとっ捕まえて動かしてるが、あの阿呆、いっこうに見つからねぇ。そういえば久暁にやるとか言って厨房で飯作っていたんでひょっとして、という訳だ」
 久暁は渋い顔をしたまま、椿について来るよう言った。

 鉄燈籠を作る作業場は、鋳造場と彫金場で分かれている。そして原材料は鉄忌の死骸である。
 式≠ェ倒した鉄忌の残骸を『火燐楼』が引き取り、鋳溶かして基本の型を作り、それに打ち出しや象嵌などの彫金を施していく。光源となるのは鉄忌の眼球部分だが、これを燈籠に設置させる技術は、この『都』において久暁しか成せる者はいない。よって久暁は日頃から身辺に人を近づけさせず、生産域区の外れで暮らしている。技術を外部に漏らすことがないよう、仕上げは必ずそこで行うのだ。

 椿は質素な屋敷に招かれた。下都の重要人物が暮らすにはあまりにも貧乏臭い家だが、久暁一人と数名の手伝いの者が暮らす家としては、これでも広すぎるらしい。背の高い久暁に合わせて建てられているので家の丈だけは高い。一部の部屋は使われずに、仕上がった鉄燈籠の物置と化している。
 久暁の部屋も作業場と違いがない。部屋を囲む棚には無数の彫金用のたがねが並び、未完成の燈籠がそこかしこに点在している。ひっそりと空いた空間は人一人座るのがやっとで、その前には作りかけらしき彫り物を乗せた台座があった。これでは寝るのも食事をするのも難しい。その時間を作業に割いていった結果、こうなったのだろう。
「いつ見ても、お前の芸術莫迦っぷりには呆れるぜ」
 何とか作った隙間に座り、椿は正直な感想を述べた。
 久暁は隅の燭台に火を灯し、それまでずっと閉じていた目を漸く開いた。
「鉄燈籠を嫌ってるも相変わらずだな」
 鉄燈籠を作る本人が燈籠を心底嫌っているというのもおかしな話だ。禁止された蝋燭を未だに使い、燈籠が照らす場所では必ず目を閉じている。暗闇の山育ちに加え、感覚の鋭い砂螺人の血のおかげで不自由はしていないらしいが、そこまでする必要があるのかと椿は思う。
 久暁は放置してある燈籠の一群の中から一振りの刀を取り出し、椿に差し出した。
「砥いで来た」
「お、すまん。あの爺さんしかコイツの世話が出来ねぇってのは不便だよな」
「使ってもないのにな」
「使わない方がいいんだよ。で、燥一郎だが」

 椿が話を切り出すと、何故か久暁は壁際の棚へと歩み寄った。棚の中に両手を突っ込むと、そこから一匹の猫を引きずり出してきた。身体の大部分が白い毛に覆われ、耳にだけ茶と黒の模様が重なっている。体形は大柄というより球体に近い。抱きかかえる久暁も重いのかすぐに手放した。眠っていた猫は起こされて不機嫌そうだったが、欠伸をするとその場でまた丸くなってしまった。
「猫かそれは?」
「猫だ。モチと呼んでいる」
「あぁ、そいつが例の。確か前に燥一郎の作った飯をつまみ食いして死にかけたっていう」
「そうだ。以来、アイツが近づいたりアイツの飯の臭いを嗅ぎつけると、凄い形相で引っ掻こうとする。おかげであの阿呆が近づこうとしないから助かっている」
「コイツが寝ているって事は、燥一郎は近くにはいないか。何処行きやがったあの女男」
「本当にこの区域に来ているなら俺に知らせが来るはずだが。燈籠の作業場の連中が警戒しているからな」

 燥一郎による善意という名のおせっかいには、作業場の皆が被害を被っている。機能を失った燈籠は再び鋳溶かされて一般的な道具に加工されるのだが、久暁はその意匠にもこだわっており、燥一郎はそんな彼の仕事を減らそうと自作の企画書を頻繁に紛れ込ませるのだ。
 それが巧いのならば文句はないが、綺麗な顔に釣り合わず、燥一郎は美術的な造形センスが全くない。
「フン、燥一郎は思いついたらやり遂げないと気が済まない奴だからな。待ってりゃ来るかもしれねぇし、邪魔するぜ」
「結局、居座るのか」
「あぁ、ついでにこれでも喰えよ」
と、椿は懐から笹で包んだ握り飯を出した。
「差し入れだ。燥一郎の飯と違って毒じゃねぇから安心しろ」
 久暁は軽く礼を言っただけで、握り飯を脇に寄せた。いつの間に目を覚ましたのか、モチが目を爛々と輝かせて握り飯を凝視している。丸い身体に似合わない早さで包みを咥えると、部屋の隅で獲物にがっつきだした。あまりの早業に椿も呆然としている。
「久暁、ひょっとしていつも、ああいう風に飯取られているのか?」
「アイツが喰うなら心配なしと毒見させているし、いつも少ししかやらんから嫌われている。たまには喰わせないとな」
「だからしょっちゅう倒れるんだろう、お前。そういえば、今日も山で倒れたらしいな」
「燥一郎から聞いたのか?」
「アイツと会ったら、話すよりもコイツの礼が先だからな」
と、椿は頬の新しい傷を指した。
「だから違う。燥一郎を探している途中で千克の所に寄ってな。燥一郎と話した事を洗いざらい吐いてもらった」
「何でまた」
「燥一郎が動くような話が流れているかもしれんし。おかげで面白いものが聞けた」
「八色の黒≠ゥ……」

 静かに、椿が自嘲めいた溜息をついた。
「今更何の役に立つんだか。二十七年前とは違うってのに」
「やはり、椿はそう思うか」
「お前と一緒で他人のフリは出来ねぇからな。で、奴らが動くとなると目当てはやっぱりお前か?」
「だろうな」
「もう会ったのか?」

 炎の揺らめきに照らされ、丹色の瞳が血色となる。それは微かに表れた久暁の感情の色なのかもしれない。

「まだだ」
「まだって事は、近い内に接触する確信があるみたいだな」
「椿がそれを知ってどうする?」
「おいおい忘れたのか。お前らには俺に真実を語る義務があるだろう。俺が『彩牡丹』に帰らないようにな」
「帰りたければ帰れ。知りすぎたその口を縫い合わせ見送ってやる」
「口封じの心配か。んな労力使わなくても、俺は誰にもお前らの秘密は話さねぇから安心しろ。現に、お前は燥一郎の頭ん中を知らねぇし、燥一郎もお前の悲願なんざ欠片も嗅ぎ取ってねぇよ」
「フン、むしろ黒の連中はお前を捕捉すべきだな。さぞかし驚く話が聞けるだろう。その軽そうな頭の中に、何百の人間の思惑が詰まっている?」
 素直に事情を明かそうとしない久暁に対し、遂に椿は切り札を使った。
「そうやっていつまでも話をはぐらかすようなら、これからずっと斬月って呼んでやる」
 その名で呼ばれた久暁はいきなり顔を赤くし、肩を震わせた。
「どうせなら、もっとマシな脅しをしろ」
「お前にはこれが一番効くだろ。さて、何で黒の連中が来るのか話してもらおうか」

 観念したのか、久暁は傍に置いてあった水差しから一杯口にすると、滔々と長い語りを始めた。
 それは彼が半日前に体験した、黒狗山での死闘から始まった。百舌老人との会話、落ちてきた鉄忌の群れ――神妙に一つ一つ聞き取りながら、話が鳥人と童女に触れても、椿が驚きはしなかった。
「鉄忌以外にも化け物がいたとはな」
「呑気な奴だ。化け物なら俺達の身近な所に、すでに一人いるだろう」
 そういえばそうだな、と椿は含み笑いで納得した。
「で、そいつらが鉄忌でも燥一郎の縁者でもないなら、正体は?」
「俺が斬り損ねた鉄忌を始末したのは奴らだろう。ならば左大臣の式≠ニ考えるのが妥当だ」
「式≠フ姿は何者も知らず。久暁の予想が確かならば、左大臣が民に見せたがらないのも頷けるな。化け物が『都』を守っているなんて知って、いい顔する奴はまず居ねぇ」

 まるで、久暁に言い聞かせるかの様な口調だった。久暁が鉄忌を斬っていると知るのは、椿と燥一郎と百舌老人、そして枳の四人だけである。人間が鉄忌を斬るのは不可能であるはず――そんな芸当をしてのける人間が人間と思われるはずがない。長い年月の間には、運悪く山に足を踏み入れ、偶々久暁の姿を見た者もいた。彼らは人間離れした技に久暁こそが式≠ニ思い、そこから妖月の赤鬼≠ニいう怪談じみた噂が流れたのである。
 つまり、一歩誤れば久暁とて化け物にされかねない。

「それはさておき、連中に名乗ったのか?」
「名乗った。阿頼耶という名を知らずとも、鉄忌を斬る人間の存在を確かめたのならば、左大臣が動かずにはいられない」
「ましてや、そいつの名が鉄燈籠作ってる奴と同じならなおさらか。おまけに両親共に重罪人とくれば――良かったな、久暁」
 パチパチと椿が拍手した。本人に似て軽く乾いた音は、労いと祝福にしては耳に響いて痛い。面白がっているだけなのだと、久暁はとっくの昔に了解している。
「これで知りたがりは満足したか」
「いやいや、お前こそ満足してないのか? 悲願達成まであと少しじゃねぇか」
 話し終えた久暁には、疲労感がのしかかっていた。激務からくる疲れと違い、これは相当の年月を経て、身に染み付いた物であった。

「だが――」
 耳飾りを弄りながら、椿が念を押すように構えた。
「もし本当に黒≠フ奴がお前を訪ね、上都に連れて行くことになれば、もう『火燐楼』には帰れなくなるかもしれねぇぞ」
「承知の上だ」
 久暁の言葉には覚悟が宿っていた。身体に染み付いた疲労感が装飾となり、火色に染まった赤髪と瞳がその覚悟を不動のものと告げていた。
 椿はなおも何かを言おうとしたが、襖ごしの若い女の声に止められた。




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